2012年02月28日

身代り囚妃のSSです

はたして萌えはどこに行ったのか…。
そんな感じのSSです。ごめんなさい。
ヨシキ君の閉宮までの間のヒトリゴトです。
まったく糖度とか萌えの要素がなくてすいません。
次回のSSでは、もう少し甘味のある感じを目指します。



  
僕の暦

 僕が初めて知ったこの世界の文字は、暦に刺繍された僕の名前だった。

 サリド王の崩御を受けて、黄宮はにわかに騒々しくなった。
 リラさんも不調を押して荷造りや葬儀に立ち会っていて、アムも忙しそうだ。
 僕もせめて自分の分の荷造りは自分でしようと、これまで三年住んだ部屋を見渡す。
 服はリラさんのお父さんが用意してくれるから、後宮で着ていたものはもっていかなくていいといわれていた。
 そうすると、荷造りするようなものは何もないことに気づく。
 家具や小物は全てこの部屋にあったもので、自分のものといえるのは元の世界から身に着けてきたものだけだと思うけど、着ていたと思われる高校の制服は、気付いたらこちらの服に着替えさせられていてわからなくなっていた。制服のポケットには携帯もあったはずだけど、取り上げられたのか、なくなったのか、手元には戻ってこなかった。
 この世界で与えられたものは、僕のものといっていいのか迷う。だいたい勝手に持ち出していいかもわからないけれど、とりあえず持っていきたいものをテーブルに置いていったら、言葉の勉強に使った本や筆記具だけだった。全部リラさんからもらったものだ。
 これはきっと持って行っていいはずだ。
 リラさんが僕のためにと用意してくれたものばかりだから。
 ああ、それと、一番忘れてはいけない大事なもの。
 僕は部屋の隅に置いてある行李からそっとそれを取り出した。
 ここに来てすぐの頃に渡されたこの世界の暦だ。
 布に織られたその暦に綴られた刺繍を、手のひらでゆっくりと撫でる。
 ここに来てからの孤独と、リラさんとアムに出会えた幸運をしみじみと感じた。
 最初は帯のような布をただ渡されて意味がわからなかったけれど、星と月と太陽を象った刺繍がされていて、毎日朝食を運んでくる給仕係が一マスずつ指さすのを見て、カレンダーの代わりにするのだと気づいた。
 それからは毎日その布に印をつけて日にちを数えていた。
 一年を数えた頃に、僕はリラさんやアムと初めて会話らしい会話をした。もちろんその時は言葉がまったくわからなかったから、そういう意味では会話じゃなかったけど、お互いに伝えたい、わかりたいと思って向き合った人たちに出会えたのは、この世界にきてから初めてだった。
 今から思い返すとすごく恥ずかしい初対話だ。
 つれてこられて以来、同じ建物で暮らすうちに見かけたことはあるけれど、僕は二人にいつもつんつんして、向こうから挨拶されても、挨拶どころか目も合わせなくて、ずっと無言をとおしていた。
そんな風に接していたくせに、ちょっと優しく声をかけられたからって、いきなり目の前で泣きはらしてしまった。
 ここに連れてこられてからの一年、気を張っていたんだと思うけど、今思うと子どもじゃあるまいし、かなり恥ずかしい。人前で泣くとか、しかもほとんど面識のない人の前で泣くとか、高校男子としてだめだろう。あの頃から二人にはどうも子ども扱いされたままな気がする。
 ああ、でも今でも二人の前では偶に泣いちゃうことがあるから、やっぱりこの世界に来て子どもっぽくなってるのかもしれない。以前は母さんに心配かけないように、人前では絶対泣かないようにしてたのに。甘えちゃってるんだろうな。だめだなあ。
 そんな恥ずかしい対面の後、気まずくて下を向いてしまった僕に、彼女たちが最初に確かめたのは、やはりというか、名前だった。
 彼女たちはそれぞれ自分を指さしてリラ、アムと繰り返した。僕も自分を指さしてヨシキと繰り返した。
 互いに名前を名乗りあって、そこでようやく僕は今までの一年、一度も名前を呼ばれることなく過ごしていたことに気づいた。
 どれほど異常な精神状態だったのだろう。
 そんな当たり前のことにすら、気づけないでいたなんて。
 彼女たちはゆっくり微笑んで、一つ頷いて、暦を取り出してきた。
 彼女たちの暦だ。
 ジェスチャーで僕の暦も持ってくるように言う。
 僕は訝しがりながらも、自分の部屋から暦を持ってきてリラさんに渡した。
 彼女はにっこり微笑んで、ヨシキ、ヨシキとゆっくり何度も繰り返しながら受け取り、僕がつけた一年分のしるしの跡をゆっくりなぞって、その手でそっと頬をなでてくれた。

 今、その暦には、こちらの言葉でヨシキの名前が刺繍されている。
 リラさんがしてくれたものだ。
 何とか言葉がわかるようになってから知ったのだけれど、暦はこの世界での戸籍のようなものも兼ねているらしかった。
 暦の布は神殿でのみ作られていて、子どもが生まれると、最初の秋の大祭の際に連れていき、暦をもらう。それに親や近親者がその子の名前を刺繍して、次に一巡目を迎える時、それまで使っていた暦を納めて、次の暦をもらう仕組みになっているらしい。
 この世界に連れてこられて、とりあえず暦を渡されたものの、僕は誰からも名前を聞かれることはなかった。存在の不確かな、まさしく、扱いに困る不要な人間だったんだろう。
だからリラさんが名前を聞いてくれて、この暦に記してくれて初めて、この世界に存在を許されたことになるんだと思う。
 リラさんが僕に居場所を作ってくれた。
 暦に縫い取られた、こちらの世界の文字で書かれた僕の名前。
 それはつまり、現実として、ヨシキという僕がこの世界にいる事実。
 これを認めたら、僕はやっとこの世界で息をする資格を持てるんじゃないかって気がした。
 ずっと母さんのことが心配で、気がかりで、負い目だった。
 この世界にいる自分を認めてしまったら、母さんを諦めてしまうようで。
 元の世界に帰ることを諦めるのは、母さんを諦めることだろうか。
 この世界で生きることを望んだら、母さんへの裏切りだろうか。
 申し訳なくて、申し訳なくて。
 でも全部を否定しながら生きるのは限界で。
 リラさんはそんな僕にこの世界で生きる未来を描いてくれた。ほんとに一所懸命考えてくれた。
 言葉を覚え、生活習慣を知り、歴史を学んだ。
 それが、僕が生きていくのに必要なことだと教えてくれた。
 母さんがいつも僕の将来を心配して、できる限りの準備をしようと手を尽くしてくれていたのと同じように。
 同じだと、思ってる。
 だって同じ重みを感じてる。
 僕の名前が縫い取られたこの暦を見るたびに、2年前を思い出して、母さんのこととリラさんのことを思う。
 数冊の本と筆記具と暦。
 この一抱えの荷物が、僕に希望を教えてくれるから。だから、迷いはこの後宮に置いていく決心をする。
 ほんとを言えば、リラさんを思って胸が温かくなればなるほど、母さんと果たせなかった約束が僕を苛むけれど。
 元の世界とこちらの世界、その選択に揺れる気持ちは、このまま僕の胸にしまって、今目の前の世界で、頑張って生きるという決心。
 もうすぐ訪れる新しい生活を、無駄なものにはしたくないから。
 それがきっと、母さんやリラさんの願いに通じると思うから。

 僕は人差し指で暦の刺繍をもういちどゆっくりたどり、この名をこの世界の文字で書きなぞった。
 そっと手を離し、広げた布に荷物をのせていく。最後に暦をのせ、きゅっと布を括って、両手で抱え、リラさんとアムが待つ部屋に向かって歩き出した。
posted by モリイロ at 00:53| SS | 更新情報をチェックする